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2009-12-26 (via gkojax-text) (via yaruo) (via samuri)
お葬式はものすごく高い。あれにもとんでもないお金がかかるのを知ったときのびっくり感と、乗用車に乗り始めて間もない頃、町中に出ると、乗用車はもはや、有償の駐車場なしにはコーヒー一つ飲めない道具なんだと気がついて愕然としたときと、どこか似ている気がする。
「駐車場」という存在もまた、葬儀社によく似ている気がする。駐車場が行っていることは、乗用車に乗っているその人から、一時的に自動車という存在、情報を、消去することに他ならなくて、車を運転している人は、乗用車という情報を消去されることではじめて、空いた空間分だけ自由を手に入れる。
捨てる、忘れる、葬ることに対して、世の中ではたぶんお金が取れる。
情報の価値はゼロに近づくけれど、情報を消去するためには、誰かに対価を支払う必要がある。情報が増えて、情報を販売することで対価をもらってきた業界は、いまはもう、地獄のコストカット競争に晒されて、大変なことになっている。みんなが大変なその裏で、実は情報の消去には一定以上の需要があって、こちらの業界は案外、コストカット圧力とは無縁に思える。
「消去」ビジネスは案外、インターネットと親和性が高いような気がする。「ここには何でもあるけれど、唯一取り消しボタンだけはないんだよ」っていうのが、ネット世間の基本スタンスだし、発信が簡単になった昨今、たぶん「やっちまった」人たちが、お金を払ってでもほしいものというのは、何といっても「取り消しボタン」だろうから。
レジデント初期研修用資料 - ゼロに戻すためのコスト (via yellowblog) (via toriaji) (via sytoh) (via dannnao) (via kml) (via tiga) (via ittm) (via uessai-text) (via 1394) (via futashika)2009-12-26 (via gkojax-text) (via yaruo) (via samuri)